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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

死  臭

作者: 西禄屋斗
掲載日:2018/04/07

 搭載していた爆弾をすべて投下し終えた敵爆撃機の編隊が、ようやく戦場から離れて行った。


 その下で戦っていた者たちにとって永劫とも思えた絨毯爆撃は止み、必死に伏せていた一人の兵士が頭を上げた。


「助かった……」


 身体のあちこちを手で触って確かめた兵士は、ようやく自分が生き残ったのだという実感が湧いてきた。


 もう何度、死を覚悟しただろうか。あの爆撃の中を生き延びただけでも奇跡だと言えた。


「お、おーい! 誰か、生きているか!?」


 爆風のせいで背中に覆いかぶさっていた土砂の中から起き上がり、兵士は仲間の安否を確認した。


 とは言え、執拗な爆撃のせいで耳はキンキンと悲鳴をあげている。しかも、むせかえるような黒煙がもうもうと辺りに立ち込め、鼻をつままれても分からないくらい視界不良だった。


 とりあえず、兵士は立ち上がった。しばらく、その場をうろつき回るが、黒煙を透かして見ても味方の姿はない。どうやら退却した仲間とはぐれてしまったようだ。


 兵士はやるせない嘆息をつくと、当てもなく歩き始めた。


 爆弾で抉られた大地は無惨であった。少なくとも数分前まではあった建物の廃墟が、今や完全な瓦礫と化し、あちこちには大きな穴が穿うがたれている。


 さらに敵味方も判然としない死体が累々と横たわり、黒焦げというよりも凄まじい熱のせいで炭化していた。まだ人の形を留めているものはいい。大半は腕や足、頭といった部位だけになって転がっているものがほとんどだ。


 それらを見ても、兵士はまだ若いにもかかわらず、何ら感慨を覚えなかった。戦地に送り込まれて、まだ一ヶ月ちょっとだが、すでに正常な神経など失ってしまうほど、むごたらしい光景を相次いで見てきたからだ。


 戦争は人間らしさなど簡単に奪ってしまう。母国で平和に暮らしていた頃が、とてつもなく遠い昔のように感じられた。


 兵士は歩き続けた。とにかく安全な場所へ。考えるというよりも、足が勝手に動いているようだった。


「あっ」


 黒煙が晴れぬ中を歩いていたせいで、兵士は爆撃が作り出したクレーターのへりで足を踏み外してしまった。疲れ切った身体は反応が悪く、重力の為すがままに倒れ込む。兵士は穴の底へ落ちた。


 穴の深さは五メートルくらいだろうか。横になったまま、兵士は自嘲したくなる。このまま自分がどうなろうといい、という捨て鉢な気分にさえ陥った。


 しかし、そんな考えはすぐに打ち消された。兵士の倒れた近くで何かが動く気配がしたからである。


「誰だ!?」


 鋭く、それでいて怯えを含んだ声が聞こえた。同時に撃鉄を起こす、カチャリ、という音――誰かが敵かと思って銃を構えたのだ。


 一瞬、転落した兵士も身の危険を感じて緊張した。が、すぐに思い直す。発せられた言葉は明瞭な母国語――つまり、敵ではないということだ。


「待て! 味方だ!」


 自分が敵ではないことを示すため、兵士は慌てて母国語を喋った。すると、黒煙の中から二人の兵士が現れる。友軍だ。


「よう、兄弟」


 左側の兵士が味方であることを確認したらしく、銃口を下げ、笑いかけた。真っ黒にすすけた顔からは、やけに歯だけが白く見える。


「ようこそ、地獄の一丁目へ。いや、三丁目かな? オレは第四中隊所属のビッグス二等兵。こっちがウェッジ二等兵だ」


 二人の友軍は警戒を解いて、気さくに話しかけてきた。


「オレは第十三歩兵部隊のニック。他の仲間がどうなったのか分からない。無事でいるのか、やられてしまったのか」


 ようやく友軍と出会えたニックは、自力で起き上がり、泥だらけの戦闘服を払った。それを見て、ビッグスとウェッジは肩をすくめる。


「無理もないさ。あの爆撃じゃあな。オレたちも逃げ惑う途中、黄色いガスに捲かれたときは、一巻の終わりかと思ったぜ。――なあ、ウェッジ?」


「ああ。まったくだ」


「とりあえず、お互い、ラッキーだったってことだな」


 そう言って、ビッグスはまた笑った。


「ともあれ、本隊に合流する前に、しばらくはここでジッとしておこうぜ。移動するのは、もっと視界が晴れてからの方がいい。アンタみたいに穴へ落っこちるならまだしも、せっかく生き残ったのに不発弾を踏んであの世行きなんてのはゴメンだからよ」


 もう一人のウェッジは待機を決め込むと、銃を抱くようにしてクレーターの底に座り込んだ。ビッグスも同じようにする。それを見て、ニックは二人から少し離れたところに腰を下ろした。


 一人で戦場を彷徨さまよっていたニックは、とりあえず味方と合流できて安堵した。これで不安な気持ちを紛らわせることが出来る。安心した途端、空腹と眠気が同時に襲って来た。


 爆撃の中を逃げ惑ううちに、持っていた水も携帯食料も何処かに失くしていた。見れば、ビッグスたちも同じようだ。カラカラになった口の中は唾も出ず、せめてもとニックは目をつむった。眠ってしまえば、飢えも渇きも関係ない。


「寝とけよ。見張りはオレたちに任せて」


 ビッグスがそう言ってくれた。ニックはその言葉に甘えようと思ったのだが――


 小さくも耳障りな音がニックの眠りを妨げた。聞き慣れた羽音――ハエだ。


 不衛生な上、死体が至る所に放置されたままの戦場では、ハエなんて日常茶飯事だ。ニックは疎ましげにハエを追っ払おうとするが、なかなか離れようとしない。両手で叩き潰そうともしたが、素早く飛び回るハエがそう簡単に捉えられるわけもなかった。


「ハハハ、もう何日も風呂に入ってねえからな。ハエが寄ってくるのも無理ねえよ」


 ビッグスの言う通り、この三日間、戦闘続きで、身体はおろか、顔すらロクに洗っていない。煙と焦げ臭さのせいで鼻が麻痺してしまっているが、ニックの身体からは相当な異臭が漂っているだろう。ハエはニックの周りをブンブンと飛び回った。


 せっかく寝ようとした矢先だっただけに、ニックは忌々しかった。しかし、ハエはまるでニックをからかうかのように、周囲にまとわりつくのをやめようとしない。


 最初はそんな様子を見て笑っていたビッグスとウェッジだったが、次第に表情が消えていった。


「何か、おかしくねえか?」


 ビッグスが言った。なぜなら、ハエはニックにばかりたかり、その近くにいるビッグスとウェッジの方には寄って来ようとしないからだ。


 するとウェッジが怯えたような顔つきになった。


「オレ、聞いたことがあるぜ。ハエってヤツは死体にたかるだろ? あれは死体が発する臭い――死臭を嗅ぎ取っているからなんだとさ。――お前の身体、その死臭が出ているんじゃねえか?」


 ニックはギョッとした。似たような話はニックも以前に聞いたことがある。


 しかし、そんなものは与太話だと思い、信じてなどいなかった。だが、こうして現実にハエがニックにだけまとわりつき、一向に離れようとしないのは、いささか気味が悪くなってくる。


「な、なあ」


 ニックはビッグスとウェッジに助けを請おうとした。すると二人は過剰なまでに反応し、まるで食べられてしまうのではないかと恐れおののくように、ニックから少しでも距離を取ろうと後退あとずさる。


「お、おい、近づかないでくれよ」


「オレたちまで巻き添えを食うのは勘弁だぜ」


「そんな、たかだかハエが――」


「来るなって言ってんだろ!」


 いきなりビッグスが銃を構えたので、ニックはその場から動けなくなった。二人とも、一度、信じてしまったイメージに支配されてしまったかのようだ。その証拠に、ニックを見つめる表情には恐怖が浮かんでいた。


「オレたちは死にたくねえ……せっかく生き残ったんだ……生きて母国に帰るんだ」


 ウェッジがまるでうわごとのように呟いた。その唇は青ざめて、震えている。


「そうとも……オレたちは生きて帰る……こんなところでくたばって――」


 急にビッグスの言葉が途切れた。次の刹那、胃から何かが迫り上がって来るような、苦しそうな表情に豹変する。


「ぐっ……あっ……があああああっ……がはっ!」


 突然、ビッグスが血を吐いた。それも大量の。その顔色は見る間に土気色へと変わっていき、皮膚がただれて、不気味なキノコのように無数の発疹を起こす。それは正視していられないおぞましさだった。


「び、ビッグス、どうしちまったんだよ!? ビッグス!?」


 相棒の急変にウェッジは慌てふためいた。目を見開きながらニックの方を振り返ってから、もう一度、ウェッジを見る。だが、吐血は止めどもなく噴き出し、足元に血だまりを作った。


 やがて、体内の血をすべて吐き出したのか、ビッグスは倒れた。異様な発疹は首筋から手にまで広がっている。ほんの一、二分で、物凄い拡大だ。


「ひ、ひぃぃぃぃっ! ビッグスぅ……」


 仲間の突然死に、ウェッジはもう、どうしていいのか分からない様子だった。ただ、ニックの方を見ては、顔を恐怖に引きつらせる。ビッグスを殺したのは、まるでニックだとでも言いたげに。


 もちろん、ニックにしても目の前の惨状に対し、ショックを覚えていないわけではなかった。まったく何ともないと思っていた人間が、突如として苦しみ出し、死に至ったのだ。


 それは、この地獄のような戦場でも見たことのない最期の瞬間だった。


「ひぃぃぃっ、お、オレはイヤだぁ……死にたくねえ!」


 ウェッジは背中を見せると、もがくようにしてクレーターをよじ登り始めた。ニックから少しでも離れようとしているらしい。


 ニックには、どうしていいのか分からなかった。そもそも本当に自分が原因なのか。だとすれば、ビッグスと同じような死に様が自分にも待っているというのか。


 逃げようとしていたウェッジだが、クレーターから脱出する前に、その足が止まった。そして、身体を仰け反らせるや否や、


「おえぇぇぇぇぇぇぇっ!」


 と大量の血を吐き、そのまま背中から転げ落ちる。


 ニックは見た。ウェッジもビッグスと同じ症状だと。


 ウェッジは苦しげに何かを喋ろうとしているようだったが、口腔内からあふれ出す血によって塞がれてしまい、やはり、また一分ちょっと経過した後、苦悶の形相のまま息絶えた。


「………」


 二人の壮絶な変死を目撃し、次は自分の番か、とニックは生きた心地がしなかった。しかし、一分が経ち、五分が過ぎても変化はなく、腕時計の針が十分を回ってもニックは生きていた。その間、あのうるさいハエはニックの周りを飛び回り続け――


「オレの身体が死臭を放っていたのではなかったのか……?」


 何が何やら分らぬまま、ニックは茫然と立ち尽くした。


 彼は知らない。ビッグスたちがここへ逃げ込む前に突っ込んだという黄色いガスが、遅行性の猛毒となって、その生命を奪ったことを。そしてハエは、猛毒を浴びた彼らの身体よりも、感染していなかったニックにまとわりついていたことを。


 恐ろしい死をもたらす死臭を放っていたのは、ビッグスたちの方だったのだ。

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